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Mediaの世界へ 「挑戦」と「創造」

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更新日 2019-04-14 | 作成日 2018-02-26

制作番組紹介

◆テレビ東京:カンブリア宮殿

2016年11月11日放送
カンブリア宮殿:『ついにJAL超え!全日空快進撃の秘密』

  

日本の航空業界で2番手が定位置だったANA。
そのANAがついに売上高、旅客数ともにJALを抜いて日本一になった。
その立役者が2013年に社長になった篠辺修。LCCのピーチ、バニラ・エアを成功に導き、本体ANAでも 成田の国際線乗継ぎの強化や羽田国際線の北米線就航など、国際線で大攻勢をしかける。
篠辺が断行してきた驚きの改革の全貌に迫る。

◆テレビ東京:日経スペシャル ガイアの夜明け

2016年11月1日放送
シリーズ「働き方が変わる」第15弾女性の"チームワーク"が地方を変える!

 


女性の働き方に注目が集まる中、地方の子育てママたちがチームで働く仕組みを自ら作る動きが広がっている。静岡の女性専用シェアオフィスでは、それぞれ経験や知識を持つ子育てママがチームを結成。このチームが中小企業再生などで引っ張りだこになっている。一方、三重ではフルタイムで働けない主婦の空き時間を有効活用した、女性だけの農園の有機野菜に全国から注文が殺到。地方再生にもつながる、新しい女性の働き方を追った。

◆テレビ東京:日経スペシャル ガイアの夜明け

「負け組」かっぱ寿司の逆襲

 

「郊外型」「タッチパネル」「特急レーン」といった回転寿司のサービスでパイオニアでだった「かっぱ寿司」。デフレ真っ只中の2010年度には、業界一の売り上げを誇った。しかしライバルチェーンが「安さ+α」の様々なサービスを次々と打ち出す中で、価格競争に陥ったかっぱ寿司は「安かろう悪かろう」とのイメージが定着、いつしか業界の"負け組"に転落してしまった。そんな中で訪れた消費者の節約志向。今を復活の好機ととらえイメージ刷新に乗り出す。担当者が向かったのは北海道・網走。美味しくて安く提供できる「いくら」の買い付けに奔走する。そして「三鷹新川店」を実験店として10月に店舗全面改装。ユニフォームも変えて新メニュー・新サービスの提供を始める。果たして〝生まれ変わった〟かっぱ寿司は、かつての盛況を取り戻すことはできるのか...

◆テレビ東京:未来世紀ジパング

2016年8月8日放送
世界で大人気の日本食に異変!

 

いまや、世界で8万9000店ある日本食店。多くなったのはいいが、そのおかげで日本から進出するとなると、地元資本の日本食店などが大きく立ちはだかる。そこで、日本からこれまでにない"変わった店"が、海外に挑戦するケースが見られるようになった。
シンガポールに進出する「サバの専門店」に密着取材。また、EUへ輸出することが禁止されていた「かつお節」とフランスで静かなブームとなっている「納豆」も取材。


シンガポールで “新たな日本食”がチャレンジ

 

シンガポール伊勢丹の4階に、日本食の専門街がオープンした。これまでと大きく違うのは、アニメなどで有名な「クールジャパン事業」の一環なのと、日本でも聞いたことのない中小の飲食店が多い事。「ありきたりの店」では、もう流行らないと官民挙げて勝負に出た。ジパングは、その中でも「サバの専門店」と「立ち食いそば店」に注目。
海外で人気な魚は、言わずとしれた「サーモン」。しかし、この店は「生で食べられるサバ」を売りに、「サバ一本」で挑む。
また、海外でどうもうまくいかない日本食の代表が「そば」。銀座の「立ち食いそば店」が、海外でそばが嫌われる理由を、徹底的に調査しこれまた挑んだ。


EU規制に立ち向かう かつお節の伝道師

 

「EUでは美味しい日本のお椀は飲めない」とよく言われる。
それは、日本料理の命“だし”をとる「かつお節」が手に入らないからだ。
かつお節のこげの部分に発がん性物質があるとしてEUは、かつお節の輸入を禁止している
これはもちろん、人体に影響を及ぼす量ではないのだが、それがEUのルール。
東京・築地にある創業90年のかつお節やの三代目がその現状を打破するために、スペインにかつお節工場を建設、生産を開始した。
中国産のおいしくないものが出回っていたスペインで、瞬く間に三代目がつくるかつお節は人気に。予想をこえる広まりを見せてきた。


意外や意外・・・フランスで納豆が静かなブーム

 

日本人でも嫌いな人が結構いる納豆。
日本で食べるものと遜色なく、おいしい納豆がフランス・南プロバンスで作られえ人気になっているとの情報が。確かに、自然食品の店で売られていた。この納豆を作っているという場所を訪れてみると、フランス人の男性が一人で作っていた。
フランス人はなぜ納豆を食べるのか?一体どうやって食べるのか?
様々な謎が解き明かされる。


演出 島 岳志
    澤田賢一
    金本良香

 撮影 大石英男
    佐々木秀夫
    戸田 統

 AP
 杉田郁子

 AD
 劉思明
 西谷奏



◆テレビ東京:未来世紀ジパング

2016年6月13日放送
奇跡の医療!世界最前線

視力を失った男性が感動の視力回復!30年ぶりに妻の姿が見えるようになり、奇跡の再会を果たす。アメリカで実用化となった人工網膜「アーガスⅡ」を取材する。いっぽう、日本でも若き名医が治療不可能だった心臓病を新治療で成功率100%。また、奇跡の医療貢献、日本版“国境なき医師団”の知られざる取り組みに迫る

 

人工網膜「アーガスⅡ」の手術を終え、30年ぶりに妻の姿が見えるようになった…

 

これまで、手術できない、と言われた重篤な患者でもあるイノベーションによって、救えるように…
カテーテルを使って人工弁を取り付けることができるようになった

 

ジャパン・ハートは、アジア各地で無料の医療支援活動を行うNPO
参加する医療人は、全員、自費で渡航し、無報酬で医療活動を展開するシステムを作った。
自費で参加し、医療活動を行うことで、医療の原点を見つめなおし、初心に立ち返ることが
できるという。


◆テレビ東京:カンブリア宮殿


2016年5月19日放送
多くの人々を失明から救う さすらいの眼科医

  

白内障や、糖尿病の合併症など、誰もが罹りうる「目」に関わる深刻な病気は多い。そのままにしておくと失明の危機もある。そんな眼科手術で、世界でもトップレベルの腕を持つドクターがいる。彼の名は服部匡志。どこの病院にも属さず、フリーで日本各地の病院を渡り歩き、数多くの手術をこなして回る。そんな服部は、月の半分を日本で稼ぎ、半分はベトナムに渡って貧しい人々を無償で治療している。「一人でも多くの人の目に再び光を感じさせてあげたい」。その一心で14年に渡って救ってきた人は、日本とベトナム合わせて4万5千人を超えた。さすらいの眼科医、その感動の奮闘記。


アジア失明予防の会
http://www.asia-assist.or.jp/index.php

ディレクター:澤田賢一
撮影:加藤実智雄
編集:大山幸樹
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆ 毎日放送:情熱大陸


5月15日放送
大腸がん内視鏡治療で症例数日本一!究極の我流で新しい治療領域に挑む男

消化器内科で内視鏡の専門医、大圃研(42)。
五反田にあるNTT東日本関東病院。ここに胃、食道、大腸と複数の腫瘍の内視鏡治療が出来る名医がいる。消化器内科、内視鏡部部長の大圃研。大圃は「ESD=内視鏡的粘膜下層剥離術」を得意とする若き第一人者だ。
現在、日本のがん罹患数1位は胃がん、2位は大腸がん。その胃がん、大腸がんなどを早期ならば外科手術を行う事なく、がんを切り取る事が出来るのが新しい内視鏡治療法“ESD”だ。治療は胃や食道、大腸など患部によって専門に分かれるが、大圃は、その3つの患部を難なくこなす珍しい医師でもある。今回は、内視鏡の限界に挑み続ける大圃医師の日常と困難な手術に挑戦する日々を追う。
ESDの黎明期から技術を磨いてきた大圃にとって、内視鏡はすでに身体の一部のような存在。両手と脚の動きを協調させてスコープを自在に操りながら、通常3時間かかる手術を30分ほどで終える。さらに、他の病院では「外科手術をして人口肛門になります」と宣告された患者が大圃の内視鏡で身体にメスを入れる事なく、4、5日ほどで社会復帰していく。大圃が内視鏡にこだわり続け、日々、内視鏡操作や治療器具の研究を重ね、独自に身に着けた大圃ならではの技術のなせる結果だ。
 しかし、自分1人が救える患者は限られている。そんな思いを持つ大圃は若手でありながらも後進の教育にも力を入れる。「自分が100人の医師を育て、1人の医師が100人ずつ救うことができれば、一万人の患者を救える」の一念で、医局の枠を超えて学びに来る医師も迎え入れる。さらに、海を越えて無償活動をし、内視鏡の世界のレベル向上に尽力している。
胃、食道、大腸と確立されてきた内視鏡治療だが、次のフロンティアが従来は外科手術のみの分野であった十二指腸だ。腸壁がわずか1~2ミリのため、内視鏡のみで十二指腸の患部を治療することは難しい。しかし、十二指腸ESDを希望する患者が大圃のもとに訪れた。その患者は体の具合から外科手術が行えず、内視鏡治療が唯一の方法だという。患者の希望に託されて、そんな未知の領域に挑戦する大圃医師に密着する。

■プロフィール
1974年茨城県生まれ 三代医者が続く家系の長男として自然と医者になる環境に育つ。
1998年日本大学医学部卒業後、医局に属せずにJR東京総合病院に就職。
数年間、月給2万円、保険なしの時代も経験、9年間非常勤として勤務。
2007年、NTT東日本関東病院から37歳という異例の若さで、内視鏡センター医長就任。
率いている内視鏡部の大腸ESD症例数は年間日本一を誇っている。
近年、海外からの治療や指導依頼が急増、土日や休日を利用し飛び回っている。
現在、中国山東大学付属斉魯病院客員教員など多数兼務。


演出:澤田賢一
 アシスタント・ディレクター:劉思明(ラウ・シミン)
撮影:大石英男
    佐々木秀夫
編集:大山幸樹
    鈴尾啓太
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆ NHK BS1 ドキュメンタリー「WAVE」



2016年5月8日放送
「絶望ラジオの若者たち ~競争社会 韓国の街角で~」

韓国の若者たちの間で人気を博す「絶望ラジオ」というインターネット番組に将来が見えない人たちの嘆きの声が寄せられている。その生の声を通して格差社会韓国の今を探る。

韓国の若者たちの間で「絶望ラジオ」というインターネット番組が人気を博している。「バイト申し込み用の履歴書すら買えない」「いくら頑張っても報われない」「私に将来はない」など、諦めと悲鳴の声が寄せられ、番組DJはその叫び声にただ共感するという番組だ。その声からは、若者たちの厳しい実情が伝わってくる。財閥優遇構造は変わらず、格差が拡大していく社会。番組に集まる生の声を通して韓国の若者の今を見る。

【語り】徳永えり


ディレクター:中村典和
撮影:大石英男
編集:森田 光
アシスタント・ディレクター:金本良香
西谷 奏
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆ NHK BS1 ドキュメンタリー「WAVE」


2016年4月17日放送
「食料廃棄物をゼロにせよ~フランス社会の挑戦~」

大型スーパーに売れ残りの食料の廃棄を禁じ、慈善団体への寄付を義務づけた新法がフランスで制定された。世界初の試みが投げかける食料廃棄の現状と課題を見つめる。

今、世界では、食料生産量の約3分の1が廃棄されている。食料だけでなく、食料を生産するための膨大なエネルギーが浪費され、深刻な環境問題を引き起こしている。こうした現状を変えようという世界初の法律が今年2月、フランスで制定された。すべての大型スーパーに売れ残りの食料の廃棄を禁じ、慈善団体への寄付を義務付けた食料廃棄禁止法である。フランスの画期的な試みが投げかける食料廃棄の現状と課題を見つめる。


ディレクター:金本良香
取材:セバスチャン・テリー
撮影:戸田 統
編集:森田 光
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆ 毎日放送:情熱大陸


2016年3月27日放送
“場所の記憶”を掘り起こす建築家。世界を舞台に巨大プロジェクトを手掛ける36歳に密着

2020年の東京オリンピック招致に向けた新国立競技場のコンペで、古墳をイメージした通称『古墳スタジアム』が最終選考に残り、世界のスター建築家ザハ・ハディドと並んで「宇宙船か古墳か」(ザハ案か、田根案か)と評され大きな話題となった田根剛。
 高校時代はJリーグのユースチームに所属し、ケガでプロへの道をあきらめた後「響きがかっこいいから」と北海道にある大学の芸術工学部建築学科へ進んだ。その後、単身ヨーロッパへ乗り込み、26歳の若さでエストニアの国家プロジェクトである国立博物館の国際コンペを勝ち取り華々しくデビュー。イタリア人、レバノン人建築家と3人でパリに建築事務所を構え、現在は世各国で20カ所以上のプロジェクトに関わっている。

 田根の建築の基本は、その建物が建つ地のそもそもの由縁や周辺環境などの“場所の記憶”を徹底的にリサーチし、そこにしか存在し得ない建物とは何かを探るというもの。
 番組では10年がかりで取り組むエストニア国立博物館の建設現場で、現地の技術者たちと意見の違いを乗り越えながら現場を指揮する様子に密着する。そこはかつてソ連時代の軍事基地、1200メートルの滑走路を建物の一部に取り込んだ巨大な構造物だ。
その他、パリでの創作の様子や、初めて手掛けた日本の個人住宅の作品を紹介。
そこでも縄文時代から人々が暮らしていた”場所の記憶“を掘り起した田根ならではのこだわりが随所に見られる。
「建築家とはローカルな仕事を請負、その土地、町並み、人を知って始めて仕事が出来る」と語る田根の怒濤の日々や建築家としての熱い想いに迫る。

[プロフィール]
1979年東京都生まれ。北海道東海大学芸術工学部建築学科卒業。デンマーク王立アカデミー客員研究員、アジェイ・アソシエイツ勤務等を経て06年にパリにてDGT. (DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立。エストニア国立博物館国際コンペティション最優秀賞、ミラノ・デザイン・アワード2部門受賞ほか受賞多数。現在はコロンビア大学GSAPP(パリ)講師。ESVMD(スイス)講師。建築の他にもインスタレーションと呼ばれる展覧会や舞台の空間演出なども手がけ、これまでに指揮者・小澤征爾の舞台装置や、デザイナー・皆川明(ミナ・ペルホネン)らとコラボレーションするなど、分野を超えた活動も。パリ在住の36歳。


演出・撮影:原義史
撮影:戸田 統
編集:伊藤 誠
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆テレビ東京:ガイアの夜明け


2016年3月1日放送
シリーズ復興への道19章「福島の明日につなぐ」

震災から丸5年…福島第一原発20キロ圏を番組案内人・江口洋介が現地を行く。まもなく避難解除になる見通しの福島県南相馬市小高地区。住民が戻るかどうか…肝心なのが“働く場”だ。ここにパワーアシストスーツやドローンなど最新鋭機器の製造工場をつくり、人材を呼び戻そういう中小企業が現れた。集まったのは、地元への帰還を希望する技術者や若者たち。しかし、工場稼働には様々な壁があった。
 一方、福島の農業を活気づかせたいと地元の高校生たちが立ち上がった。『高校生が伝えるふくしま食べる通信』といって、福島の農産物を全国に宅配する事業だ。その目玉は、農産物に添えられる冊子。高校生たちが農家に直接出向き、農家の現状やこだわりの栽培を取材し記事にする。農家と消費者の架け橋になり風評被害を減らしたいという。彼らが発掘したのは、豊かな甘みと梨のような食感が特徴の珍しい野菜「ヤーコン」だった。 
 福島の“明日”につなごうとする人々の挑戦を追う。

【菊池製作所】
今春避難指示解除が予定されている福島県南相馬市小高区に、新たな工場が開設した。
試作メーカー菊池製作所の社長で、福島県飯館村出身の菊池功さんが、地元に雇用を生み出し、福島の人々が戻ってこれる場所を作りたいとの思いから避難指示解除に先駆けオープンしたのだ。しかし、工場を本格稼働させるには大きな壁が立ちはだかっていた・・・。
工場稼働までの取り組みを追った。



【高校生】
福島の農産物と情報誌がセットで届く『高校生が伝えるふくしま食べる通信』は、風評被害を払拭したいと福島の高校生たちが立ち上げた宅配事業。復興を担う人材育成のために元東電役員の半谷栄寿さんが始めた、無料のオープンスクールから生まれた事業だ。農家の取材や編集会議など、情報誌が出来るまでの高校生たちの奮闘を追った。


ディレクター:津田友美
       中村典和
 撮影:加藤実智雄
    戸田 統
    水上智恵子
 編集:野村皓平
 アシスタント・ディレクター:西谷 奏
 アシスタント・プロデューサー:杉田郁子

◆テレビ東京:未来世紀 ジパング


2016年1月18日放送
ついに!生まれ変わるミャンマー...国づくりに関わる日本

【世界遺産登録を目指せ!】
ミャンマーに、知る人ぞ知る観光資源があるという。その名は「バガン遺跡」。11世紀から13世紀にかけて栄えたミャンマー最初の王朝「バガン王朝」が築いたもの。40平方キロという広大な平原に大小3000もの仏塔が点在しているのだ。夕日に染まる絶景も神秘的で、訪れる人々を魅了してやまない。しかし問題があった。世界遺産として有名なカンボジアのアンコールワットなどと並び「世界三大仏教遺跡」と称されながら、世界遺産の申請が認められなかったのだ。その理由は、『遺跡の中にゴルフコースがある』などというおよそ信じられないものだった。さらに、観光地としてのインフラもまだまだ整備されていない。そこで日本のプロジェクトチームが、日本式の観光地整備に乗り出していた。目指すは、世界遺産登録への再挑戦だ。

【ミャンマーの鉄道を再生せよ!】
ミャンマーの鉄道には驚くべき問題があった。列車の平均時速はなんと20キロから30キロ。平行して走る道路では、自転車のほうが速いくらいだ。その理由は線路にあった。実はこの150年、線路の補修などがほとんどされず、老朽化にまかせるままだったのだ。そのおかげで、枕木は浮き上がり、レールもぐにゃぐにゃ。その上を走る列車は、まるで暴れ馬の背中に乗るように、揺れながら走っていた。脱線や衝突などの事故も毎年650件以上発生している。そんな鉄道を立て直すために協力する日本のシニア鉄道マンがいた。まさに“手取り足取り”でミャンマーの鉄道マンたちに技術指導をしていく。

【ミャンマーに初の証券取引所がオープン】
去年12月、ミャンマー初の証券取引所がオープンした。「長年の夢が叶いました」と式典で喜びを口にするミャンマー政府。実はこの証券取引所の開設に全面的に協力したのは、ほかならぬ日本だった。とくに大和証券グループは20年以上前、軍事政権の時代にミャンマーに乗り込み、着々と準備していたという。しかし当初、ミャンマーの人たちは「株」の意味さえ知らなかったという。その仕組みを理解してもらい、実際に証券取引所が開設されるまでには大変な苦労の歴史があった。


ディレクター:澤田賢一
       原義史
アシスタントディレクター:劉思明
撮影:大石秀男
   加藤実智雄

◆ 毎日放送:情熱大陸


2016年1月10日放送
生存率の飛躍的な上昇に世界が注目!“沈黙の臓器”のがんに挑み続ける外科医に密着

早期発見、早期治療により治らないイメージが薄れてきた“がん”。だが一方で、肝臓・胆臓・膵臓は自覚症状の乏しさから“沈黙の臓器”と呼ばれ、未だ治療が困難とされている。今年9月に女優の川島なお美さんが亡くなった胆管がんもその一種で、5年生存率が低く再発率が非常に高いのが特徴だ。
こうした困難ながんの治療に挑み、生存率を飛躍的に高めているのが肝・胆・膵外科医の上坂克彦だ。「良い癌医療をしたい」の一念で開業から13年の静岡がんセンターを全国トップレベルの治療拠点にまで牽引した手腕の持ち主だ。
 他院で無理と診断された患者でも自分が出来ると信じれば挑む。口癖は「ギリギリ」。一般的に、敏腕外科医のことを「神の手」などと表現するが、本人は「嫌いな言葉ですね」と一蹴する。手術する部分の病変や血管の通り方など微細なスケッチを作成、入念な準備と慎重な手術こそが大切と考えている。限界があるからこそ、常に「ギリギリまで努力」を信条としている。

“治らないがん”を“治るがん”へ…挑戦し続ける上坂医師の怒濤の日々をカメラが追った。

[プロフィール]
上坂克彦(うえさか・かつひこ)/外科医
1958年愛知県豊田市出身。名古屋大学医学部卒業後、当時の国立がんセンター病院(東京)に勤務し、2002年にオープンした静岡県立静岡がんセンターにて肝・胆・膵外科部長に就任。すい臓がん切除後に抗がん剤治療を行う全国的な大規模臨床試験で代表研究者を務め、患者の2年生存率70%、5年生存率45%という驚異的な数字で世界から注目された。趣味は音楽鑑賞で小澤征爾の大ファン。3人の子どもは「全員文系で誰も医師を志さなかった」と笑う57歳。


演出:菅原章五
撮影:汲田龍一
アシスタント・プロデューサー:杉田郁子