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Mediaの世界へ 「挑戦」と「創造」

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更新日 2019-04-14 | 作成日 2018-02-26

制作番組紹介

◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年12月15日放送
沸騰ヒマラヤトレッキング!最貧国ネパールの光と影

【エベレスト街道のトレッキング】
ネパールと言えば、有名なのはヒマラヤ山脈にそびえる世界最高峰エベレスト。その山肌を縫うようにトレッキングができる“エベレスト街道”は大人気のコースだ。毎年、世界中から3万6千人もの外国人観光客が訪れる。“一生に一度は見てみたい”と日本人の観光客も多い。取材班は平均65歳という日本人ツアー客に密着、3日間に渡る山歩きの末、目の前に現れたのはエベレストの荘厳な光景、思わず歓声があがる。

【エベレストに“夢のホテル”つくった日本人】
ツアーの楽しみはそれだけではない。標高3880mに場所に建つホテル・エベレスト・ビューは、富士山より高い場所に建つホテル、全室エベレストが窓から見渡せるすごいホテルだ。しかも、食事は日本食まで出るという。実は、このホテルを43年前につくったのは、日本人だった。宮原巍(たかし)さん、現在80歳。若い頃、エベレストの魅力に取りつかれた日本の山男が、単身ネパールに渡り「夢のホテル」を建設したのだ。さらに宮原さんは、世界最貧国と呼ばれるネパールの状況を変えたいとネパール国籍を取得していた。その信念とは…

【ネパール発 草木染めのストール】
「途上国から世界に通用するブランドを作る」と、いまや国内外で20店舗を展開するマザーハウス。バングラデシュで生産した高品質のバッグなどで成功したノウハウで、次なる海外進出の拠点として選んだのがネパールだった。ネパールのオリジナル製品とは、草木染めのストールだった。作るのはネパールの女性たち、しかし、女性が外で働く文化の無いネパールで果たして上手くいくのか?


ディレクター:菅原章五
       原 義史
カメラ:戸田 統
編集:舛本賢治
アシスタント・デイレクター:金本良香
ジェレミー・J・プリチャード


◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年11月17日放送
緊急拡大スペシャル!"中国異変"第3弾

【中国進出のニトリ】
日本でお値段以上をウリに快進撃を続ける家具チェーンのニトリ。9月末、中国での初出店を目前に控えていた。場所は、内陸部の武漢。中国に異変が続出する中、そもそもなぜ今中国に初進出なのか?意外な秘策とは?出店の舞台裏に密着取材。そこから、中国市場の今後を展望する。

【「ゴッドハンド」と呼ばれる大圃(おおはた)医師】
中国医療事情を象徴する町があった。湖南省長沙市にあるガン専門病院、その周りは15軒ほどの旅館が軒を連ねる「がんの町」呼ばれる一角がある。高額な医療費が払えない患者達が安い宿に滞在しながら治療に通っているという。なかには、治療費が払えず、自分で胃がんの手術をした人が出血多量で亡くなる事件まで発生しているという。
いま中国はがん患者が増え続ける一方、医療制度の整備が追いつかず深刻な社会問題となっていたのだ。
そんな中国に、内視鏡によるがん手術で「ゴッドハンド」と呼ばれる日本人医師が乗り込んだ。NTT東日本関東病院の内視鏡部長、大圃(おおはた)医師(40才)だ。大圃医師がもたらす、中国医療現場の異変の先に、新たな関係が築かれようとしていた。


ディレクター:澤田賢一
アシスタント・デイレクター:劉 思明
撮影:大石英男
編集:舛本賢治













◆ テレビ東京:日経スペシャル ガイアの夜明け


2014年9月30日放送
シリーズ「復興への道」第17章 福島の未来のために...

【元東電マン・・・福島復興のために一生を懸ける】
半谷(はんがい)栄寿さん、61歳。福島県の南相馬市の出身で、元東京電力の執行役員だ。東京電力で新規事業などを担当、東日本大震災前の2010年には東京電力を退任していた。しかし、自分のかつて所属した会社が、生まれ故郷に大被害を与えたことに責任を感じ、残りの人生を福島復興に懸けることを誓う。まず、ソーラー事業を立ち上げ、雇用を生みたいと考えた。また、福島の復興に役立つ若者を育てたいと、小学生への体験学習や、高校生へのオープンスクールなどを行っている。

【20キロ圏内に"働く場"を作りたい・・・37歳の挑戦】
南相馬市の南半分である、福島第一原発から20キロ圏内の地域は、2012年4月から、「避難指示解除準備区域」となり、特別な許可が無くても日中は出入りができるようになった。そこで、戻った時のことを考え、新たなビジネスを地元で立ち上げようとしている人がいる。和田智行さん、37歳。和田さんが考えたのが、もともと南相馬の地場産業だった「絹織物」。現在は仮設住宅で暮らす全くの素人たちが、廃れてしまった絹織物を復活させようと挑戦を始めたのだ。


演出:津田友美
編集:大川義弘
カメラ:佐々木秀夫
    戸田統
AP:杉田郁子


◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年8月25日放送
世界コーヒー争奪戦

【大人気!セブンイレブン100円コーヒーの裏側】
今、売れに売れているコンビニコーヒー、中でもセブンイレブンの100円コーヒーは、去年の発売以来、1年で4億5千万杯を売り上げる爆発的ヒットとなっている。ヒットの理由はドリップ式。100円という低価格ながら、その場で機械がドリップしてくれる。もちろん、豆にもこだわっている。その豆を追いかけてたどり着いたのは、世界一のコーヒー大国ブラジルだった。そこでは、日本の大手商社・三井物産がコーヒー専門の会社を作り、想像を絶する厳しさでコーヒーをチェックしていた。さらに、良い豆を安く手に入れるため、コーヒー豆のブローカーとの丁々発止の売り買いが行われていた。

【ブラジル巨大農場と日本の固い絆】
さらに三井物産がブラジルでコーヒーを確保するための秘策があった。それは、巨大農場との専属契約だ。日系二世フクダさんのコーヒー農場は1000ヘクタール、なんと東京ドーム200個分の広さを持つ。30年前、30ヘクタールで始めた農場が今や1000ヘクタールにまで広がった陰に、フクダさんと三井物産の固い絆があった。三井物産は、熟したコーヒーの実が簡単に取れる“収穫マシン”や、乾季でも人工的に水と肥料を与えるパイプを張り巡らせるなど、フクダさんに技術面で協力していたのだ。

【インドネシア「幻のコーヒー」復活させた日本人】
インドネシア・スラウェシ島の町の中心から車で8時間もかかる秘境にトラジャ族という少数民族が暮らしている。そこに、「幻のコーヒー」と呼ばれるコーヒーがある。その名はトアルコトラジャ・コーヒー。トラジャ族の人たちが、一粒一粒コーヒー豆を丁寧に手で摘む、最高級コーヒーだ。第二次世界大戦以前、インドネシアはオランダ領でトラジャコーヒーはオランダ王室御用達の逸品だった。ところが戦争が終わり、オランダ人が引き上げると、農場は荒れ果て、いつしか「幻のコーヒー」に…。そんなコーヒーを復活させたのは、なんと日本人だった。キーコーヒーの大木さん、当時の副社長だ。「幻のコーヒー」を復活させるために、道路や橋などのインフラ整備から、近代的な栽培技術までをトラジャ族に手取り足取り教えていった。そうやって、「幻のコーヒー」は復活したのだ。

【沸騰ナビゲーター】
鈴木亮(日本経済新聞社 編集委員)

ディレクター:原 義史
       澤田賢一

アシスタント・デイレクター
杉田郁子
劉 思明

撮影:戸田 統
   加藤実智雄
   大石英男

編集:野村皓平





















◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年5月26日放送
世界を救う!ニッポンの赤ひげ

【“神の手”持つ眼科医、しかしフリーランスだった】
服部匡志医師。彼は依頼されれば、日本全国どこにでも行く、フリーランスの眼科医だ。
手術の腕を買われ、日本国内を飛び回る。ある患者は、地元の病院を何件も回ったが、失明はまぬがれないとさじを投げられていた。しかし、服部医師の手術により視力を取り戻した。「服部先生は…神の手です」
ところが服部医師、日本にいるのは一か月のうち半分だという。残りの2週間は何をしているのか?

【ベトナムで、1万人に光を与える…しかも無報酬で】
ベトナム最南端の町、カマウ。普段は人影まばらなある病院に、この日100人以上の患者が押しかけてきた。みな白内障など眼の病気にかかった人達ばかり。そこにやってきたのは、服部医師だった。
実は、残りの2週間は日本で得た報酬を元手に、ベトナムで無償の医療活動を行っているのだ。満足な設備がない中、持ってきた顕微鏡や内視鏡、メスなどを使い失明寸前の人々に光りを与えていく。しかも、診断や治療はすべて無償、そんなボランティア活動を、12年も続けているという。
服部医師が救った患者はこの12年間でおよそ1万人に及ぶ。2007年、ベトナム保健省からその功績をたたえて、人民保健勲章も授与されていた。



















【カンボジア 医療の無い村に日本人看護師】
経済発展著しい東南アジア。都市部では医療も進歩してきているが、中心から離れた地域、特にへき地には、病院がないところも多い。
カンボジアの首都プノンペンから車で2時間半もかかるチューンプレイ地区。いまだ高床式住居が点在する、発展とは程遠い農村地帯だ。近代的な医療を受けられる病院もない。この村に、日本人看護師がやってきていた。
通りで村人たちをつかまえて声をかけている。「この村に医者が来ます。お金はかからないのでぜひ来てください。村人たち、半信半疑で聞いていた。

【へき地医療に取り組む日本人チーム】
数日後、日本人のあるグループがこの村にやってきた。その名はNPO法人・ジャパンハート。東南アジアでへき地医療に挑む日本のチームだ。日本人の医師と看護師が、そのたびごとに集まりチームを組んで、東南アジアのへき地にやってきては患者を治療していくという。
今回もチューンプレイ地区に即席の診療所をつくるのだが、その様子は野戦病院さながら。
カンボジア国内で調達可能な機器や薬品を使って、次々に患者を治療していた。そして、数日間に渡る治療活動を終えると、また次のへき地に向け移動していくのだ。


ディレクター:原 義史
       澤田賢一
       津田友美
アシスタント・デイレクター
杉田郁子
劉 思明

撮影:加藤実智雄
   大石英男
編集:大川義弘









◆ 毎日放送:情熱大陸


2014年3月16日放送
「肺移植医 大藤剛宏」編

●移植医療の現状…日本の肺移植に変革を!
 日本で臓器移植法が初めて施行されたのは1999年。それから15年の月日が経つが、先進諸国の中で日本ほどドナーが不足している国はないと言う。待機期間が長く、ドナーが現われる前に亡くなってしまう患者が後を絶たない。
 ところが臓器が不足しているにも関わらず、実は提供される肺のうち半分ほどは、肺炎や挫傷など医学的理由により、使われていないのが現状だ。
 せっかく提供してもらった肺を無駄にしたくない。ダメな部分を切除すれば使える肺がある。「完璧な肺じゃなくても、患者にとっては宝の肺。」医者の技術と工夫次第で不可能を可能にすることができると、大藤は挑戦を続けてきた。

●ある少女の肺移植ドキュメント
 朝4時、大藤の携帯電話が鳴った。脳死ドナーが現れたのだ。その日の午後、一人の少女が両親と共に、大藤のいる岡山大学病院にやってきた。幼い頃から肺に重い病を抱え、酸素ボンベを手放せない状態。もうダメかも知れないと希望を失いかけていた矢先の臓器提供だった。
 しかし、ある問題が。少女は側湾症という背骨が曲がる病気を患っており、心臓の位置が左に大きく移動していたため、左肺の空間が極度に狭くなってしまっていたのだ。これほどの側湾症患者の肺移植は海外でも不可能だと言う。
 それでも大藤は、手術に踏み切った。あらかじめ考えていたプランがあったのだ。通常は使わない「上葉」の部分を切り取り移植する方法だ。届いた肺は、思ったより大きい。でも上葉なら、形も大きさも少女の左肺の空間にピッタリはまる。気管支、肺動脈、肺静脈、3つの管を器用に縫合し、少女の命を救った。
(※脳死移植のため、手術の時期や氏名などの個人情報は番組で公開しません。)

●3月、「分割肺移植」運用へ
 こうして積み重ねてきた実績が、ついに国を動かした。3年前から大藤が厚労省に直訴していた新たな手法が認められたのだ。脳死ドナーの肺を分割して、複数の人たちに移植するという「分割肺移植」だ。
 これまでは臓器提供の際、血液型や体格がマッチする両肺または片肺、という選択しかなかったが、挫傷している肺に関しては体格の規定が外され、一部でも必要としている人が受け取れるようになる。この3月から、いよいよ運用開始。より多くの患者、特に小さな子どもにとって生きる希望になると、大きな期待が集まっている。

●“大藤流”移植医療
10時間を越える肺移植手術。患者やその家族、そしてスタッフにも緊張が張りつめる。そんなとき大藤は、他愛ない会話と絶妙なユーモアで手術室の空気を和ませる。ひとたび手術が始まると、冷静な判断と的確な指示で移植を成功に導く。その手技は“まるでアート”と言われるほどだ。
 患者とその家族にはリスクをはっきり説明し、決してごまかさない。常に死と隣り合わせの患者に向かい、時にはドキッとする言葉も使う。「きれいごとを言っているだけでは移植は成功しない。医者の方から患者の心に飛び込まなければ、信頼関係は築けない。」目の前の命と真っすぐに向き合う。周囲の信頼は絶大だ。
 肺移植の成功率は世界的に見るとおよそ50%、国内だと70%。しかし大藤率いる“チーム岡山”は、ここ3年100%の成功率を上げている。「外科医として完璧に手術をするのは当然のこと。術後管理を含め全ての段階を完璧することが成功の秘訣。」移植コーディネーターや薬剤師、臓器摘出チーム、さらには内科医も巻き込み、科を越えて常にコミュニケーションを図っている。

●プロフィールなど
広島県・福山市生まれの46歳。子どものころ、釣った魚をハサミで切り開き、鼓動を続ける心臓に驚いた。医師ではなく、外科医になりたいと思った。夢を叶えた5年目の1999年。岡山大学病院で、日本で初めての肺移植が行われた。ドナーの主治医だった大藤医師は、その症例に心臓外科医として立ち会った。
 その後、肺移植医になるためにオーストラリアへ武者修行に。5年間でなんと200例の症例を経験、初診から手術、術後の内科診療や退院後のフォローに至るまで、すべてのノウハウを学んだ。その経験が今、岡山大学病院で発揮されている。
 大学病院の仕事とは別に、月に1度週末を利用して、瀬戸内海・因島にある病院に往診に出かける。もう15年以上も通っていると言う。週末、島で唯一の外科医となる大藤を頼りにやってくる様々な患者たち。その一人一人の声に親身になって耳を傾ける。「移植医療も地域医療も同じ、医師の原点は目の前の患者を助けること。」瀬戸内の、のどかな空気と島の人たちが張りつめた心を癒してくれる、大藤にとって大切な安らぎの時間でもある。


演出:津田友美
構成:田代 裕
撮影:大石英男
編集:大川義弘
プロデューサー:福岡元敬(毎日放送)
        松井秀裕

◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年3月10日放送
“世界を救うニッポンの医療”第三弾

【世界第二位のがん大国ミャンマー 驚きの医療事情】
千葉県鴨川にある亀田総合病院。医師数450人、一日の来院患者3000人という、日本有数の人気病院。その魅力は最新の医療設備とともにホテルを思わせるような豪華な病院の施設にあった。病室は全室、雄大な太平洋の海原が見え、驚いたことに、病院でありながら、お酒の飲めるレストランも完備されている。
 そんな豪華な病院に見学にやってきたのが、世界で最も医療事情が悪いと言われるミャンマー保健省の関係者達。
 2011年から民主化に舵を切ったミャンマーだが、鎖国時代の経済の停滞で、医療も劣悪な環境のままだ。大病院に通えるのは一部の富裕層だけ、庶民は伝統医療と呼ばれる昔ながらの治療院に通って、薬草などのせんじ薬にたよっていた。
WHOの報告によると、ミャンマーは世界第二のがん大国。患者の増加に検診や、治療シス
テムを確立させようと亀田総合病院に協力を求めて来たのだ。

【亀田総合病院のエース 戸崎充宏医師の神の眼がミャンマーを救う】
ミャンマーの深刻ながん事情の対策として、まず取り組まれようとしていたのは、検診システムの導入だ。
亀田総合病院のがん診断の“スーパースター”といわれるのが戸崎光宏医師。
戸崎医師は、“神の眼”と言われる読影技術で、乳がんの検診画像から瞬時に癌を見つけ出すエキスパートだ。一日で、およそ200人分の画像を診断し、がんの早期発見に力を発揮している。
 実は、ミャンマーは特に女性の乳がん患者が多く、がんの死因のなかでも乳がんがトップを占める。脂っぽい食事や、尼さんが多いことが原因の一つとも見られている。
 亀田総合病院は、岡山大学病院、医療コンサルタント会社メディヴァの三者で日本式の「乳がん検診、治療プロセス」をパッケージで普及させようとしていた。

【肝臓病大国 エジプトを救え 生体肝移植の第一人者 田中紘一医師】
イスラムの国エジプトでは、ある日本人医師を“神の使い”と感謝する家族がいた。
その日本人とは、田中紘一医師、72歳。2001年から毎月のようにエジプトに通い、生体肝移植の手術と、若手医師達の指導を続けてきた。
いまやエジプトでは“肝臓移植の父”と呼ばれるほどの有名人。訪問するたび各所で熱烈歓迎を受けている。
 なぜ、田中医師はエジプトに通うのか?
その理由は、エジプトが肝臓病大国だということ。70年代にナイル川に住む寄生虫の予防注射を一斉に行い、その時注射針を使いまわしたため、いまだに年間50万人もの人達にC型肝炎が発症しているという。
 さらに、イスラムの教えでは、脳死での臓器移植を認めていないために治療にも大きな壁があるのだ。田中医師は、生体での肝臓移植の世界的第一人者でもあり、エジプトから白羽の矢が立ったのだ。

 しかし、医療事情の異なる国での手術は簡単なものではなかった。
10時間にも及ぶ長い手術の間、医療機器が故障したり、医療スタッフがお祈りしたりとハプニングの連続。これで手術は成功するのか?
エジプトに日本式の肝移植センターを設立し、おもてなし医療を実践しようとする田中医師の取り組みを紹介する。


演出:原 義史
   澤田賢一
   吉川麻衣子
   宮井優
撮影:戸田 統
   加藤実智雄
   橫山友昭
アシスタントディレクター:金本良香
アシスタントプロデューサー:杉田郁子



◆ テレビ東京:未来世紀 ジパング


2014年1月27日放送
驚きの“拝金主義”中国を変える!ニッポン式“こころの経営”

【“拝金主義”中国、モラル無き商売】
中国名物・羊のしゃぶしゃぶの羊肉に、キツネやネズミの肉が使われていたり、下水から汲み取った廃油を濾して販売するなど、モラルに欠ける驚きの事件がたびたび明らかになるのが今の中国。取材班は、旧正月間近の中国の鉄道駅で、新手の商売が流行っているのをキャッチした。それは、帰省客向けに販売している携帯電話やスマートフォンの充電式予備バッテリー。しかし、このバッテリーの中を開けてみると…中には何とも驚きのものが入っていた!

【日本のカリスマ経営者が大フィーバー】
中国・成都で最大の不動産会社の社長、徐さんは今、「目先の利益の為に客をだましていた」と、これまでのビジネスを反省している。徐さんは、稲盛哲学と出会ってこれまでの手法を180度転換したのだという。
実は中国では、書店に稲盛氏のコーナーが出来る程、大人気。総計350万部を超えるベストセラーとなっているのだ。
去年10月、徐さんの会社では6000人が集まる社員集会を開いた。そこに特別ゲストとして招かれたのが、稲盛氏。その時、6000人の熱狂が最高潮を迎えた…。

【“個人主義”脱却へ日本のあのイベント大復活!】
中国国内では、稲盛氏の経営哲学を学ぶセミナーが定期的に開かれている。そこでは1500人の経営者達が、稲盛経営を実践した体験談の発表に真剣に耳を傾けていた。
参加者の一人、龔臣(キョウ・シン)さんは急成長しているエステサロンチェーンの経営者。
エステ業界ではスタッフの給料は歩合制がほとんど。その為、エステ中に美容クリーム
などの関連商品をスタッフが客に押し売る事が日常化し、次第に客離れていく状況に…。
危機感を抱いた社長は、稲盛氏の唱える「他人を思いやるこころの経営」で会社を建て直そうと取り組み始めた。
ある日、その稲盛流にならった大イベントを開催した。日本ではもうあまり見なくなった社員参加型のイベントだ。果たして、稲盛氏をはじめとする“昭和の経営”手法は、中国をどこまで変えることになるのか…?


ディレクター:原義史
       澤田賢一
編集:大川義弘
アシスタントディレクター:金本良香

























◆ NHK国際放送:OUR BLUE PLANET -Reaching Beyond Imagination-


2014年1月10日放送

The Blue Planet Prize annually praises the organization or individual achievement lead to a solution for environmental problems. It is an international global environment prize inaugurated in 1992 with the purpose of enhancement of people’s consciousness to work out this common problem of mankind.

The 2013 winners are Principle Scientist, Taroh Matsuno from Research Institute for Global Change, Japan Agency for Marine-Earth Science and Technology, and Dr. Daniel Sperling of University of California, Davis. Matsuno and Sperling contributed practical activities for preservation of the global environment and for an unsustainable development for the future.

This program introduces how the Blue Planet Prize winners have contributed to the society, evokes a discussion of global environmental problems, and conveys messages from Blue Planet Prize winners for saving the environment and to consider what individuals can do for this blue planet we are living on now.

Dr. Matsuno is engaged in research of fluid dynamics as a meteorology scientist. In particular, he focuses on research about wave motion of the atmosphere as well as ocean themes in the tropical zone. The theory of “tropical waves” that he hypothesized were confirmed in the atmosphere and through ocean observation. Eventually it leads to significant contribution to elucidate phenomena such as El Nino event and this outstanding achievement responded to social needs. His research related to stratospheric sudden warming is also recognized as one of the remarkable services for clarification of the global environment.

Dr. Daniel Sperling is known internationally as a pioneer of transportation technology and fuels assessment, energy and environmental aspects of transportation, and transportation policy. He established the Institute of Transportation Studies at University of California, Davis (ITS-Davis) and plays an active part in the field as a researcher, educator, author and policy maker meeting the needs for the global society, which ease influence of the climate change. He has been devoting his career to transition to putting on the speed of transportation system to be cleaner and to be more efficient.

Dr. Sperling is recognized as a first winner of the Blue Planet Prize in the transportation field. He stands out in the significant acts as a mediator between research and production to restrain the climate change. His research activities recognized the importance of using and reflecting chemical information into the production, which had effects on bringing public interests in global environmental protection.


演出:津田友美
編集:大川義弘